温故知新・・・黒澤明監督『乱』 1985・飯田高原ロケ『夢』


1985ヘラルド・エース/グリニッチ・フィルム・プロ
監督 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 黒澤明

淀川長治は(サヨナラ×3)

「乱」のパンフレットの原稿に記したのは

「日本映画がこれだけ風格を持ってくれると涙がにじむ」

その原稿のタイトルは

「『乱』は美しい」

記録85 ヘラルド 1985年 資料本

http://ec2.images-amazon.com/images/I/51791oxjIWL.jpg

主要登場人物の兜だけ、正面に向いていますね~

こちらの本の裏表紙に「夢」黒澤明と書かれています。

黒澤監督が九重町に残した物なのでしょうか?

九重町観光協会

http://www.kokonoe-k.com/

「夢」吊り橋

「夢」温泉郷

「夢」バーガー

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配給会社 東映

当時の映画チケットの半分券です。

現在、DVDやブルーレイで販売されていますが

もう一度大きなスクリーンで観賞してみたいですね(^-^)

九重町さんお願いします!

 

 

 

 

いや~映画っていいもんですね♪

飯田高原・湯坪温泉にある温泉宿「ゆつぼ亭」は和と洋の建築様式が溶け合う離れが人気の宿です。

温故知新・・・黒澤明監督『乱』 1985・飯田高原ロケ

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1985ヘラルド・エース/グリニッチ・フィルム・プロ
監督 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 黒澤明

海外ではもっとも評価されている黒澤映画のひとつです。
撮影中、富士の御殿場には世界のジャーナリストが連日押し寄せて黒澤監督はインタビューを受けていました。
世界の見たいという願望と75歳の巨匠監督が撮りたいという願望が一致した事例は「乱」が史上初めてだという話もあります。
黒澤の全盛期は1950年代と1985年の二回あると言う海外の評論家もいたくらいの盛り上がり。
当時在仏していた評論家の話によると「乱」が公開されたときはフランス人みんながみんな絶賛していてまいったと言ってました。

シラク元仏大統領もスピルバーグ監督もイランのキアロスタミ監督も「乱」を挙げて追悼のコメントを出してました。

英国BBCが映画生誕100年を記念して選んだト-キー以後の世界の100本に「乱」は「椿三十郎」とともに選ばれています。

製作時のエピソード

・俳優は衣装やカツラを付けてのリハーサルをクランクイン4ヶ月前から行う。
・仲代達矢は秀虎が馬上から矢を放つたった5秒のシーンのためだけに1年間仕事をキャンセルして練習をした。
・太郎が外を眺める6秒のワンカットのために9ヶ月かける。
・三郎と丹後が藤巻の一行から逃げるシーンは屋根道で馬を走らせ崖っぷちで止まらすのだが
7騎の統制が上手くいかず止まった瞬間にあやうく落馬する者もいて中々本番の声がかからない。
ロングで狙っていた黒澤はトランシーバに向かって「全速力で走れ!」助監督の返事は「これが限界です!」
これに黒澤は「怖がっていたら今夜は焼酎飲ませないぞ!!」
・次郎軍と三郎軍の合戦シーンの撮影は午後1時から午後4時までかかったが、この間75才の黒澤は炎天下にも関らず一度も櫓から降りることは無かった。
・標高1250メートル御殿場市字大太郎坊に三の城が建設されるが
火山灰でかなり傾斜した場所に城を築いたために相当の難作業で
大型ブルドーザー3台、パワーショベル3台、レッカー車5台による整地から始まった。
台風に備えて3メートルほど掘り下げコンクリートを流し込むなどの基礎作りで本格的な工事を行う。
三の城天守閣は幅16メートル奥行き15メートル高さ18メートルで6階建てのビルに相当し、
民家150軒分に当たる300トンの木材を使用。カメラには写らない裏側もベニヤ板を使わず作りこんだ。
他にも大手門と搦手門を持ち馬舎や納屋もあり総工費4億円、のべ400人がかりで127日かけて完成された。

・衣装作りのために黒澤とワダは「上杉謙信伝来衣装」や「毛利家伝来衣装」などの文献を百冊ほど集め研究をし、3年がかりで約1200着作成した。

・壮絶な三の城攻防シーンは海外の映画監督に多大な影響を与え

イーモウは「英雄」

スピルバーグは「プライベートライアン」

スコセッシは「ギャング・オブ・ニューヨーク」

ジャクソンは「ロード・オブ・ザ・リング」でオマージュを捧げている。


・狂った秀虎が嵐の中を彷徨う場面は台風が九州に上陸するまで何ヶ月も待って撮影された。

・狂阿彌の衣装は五郎丸という高級な麻を使用し色々な色に染め上げ黒澤のイメージを具体化していった

「乱」のポスターではこの時代を「生きる・戦う・死ぬ」の3つのキーワードで表現

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余談

撮影当時、映画の販促品として使用していた

ステッカーは5種類ぐらいあったと思います。

当館が所蔵している物が3種類、昨日の「乱」と本日の最初の画像です。

こちらは黒澤明の「明」を「日」「月」でデザイン化したものです。

一文字秀虎の旗印として兜の前立てにもなっていますね。

あと2種類は誰か所有されているでしょうか?

ポスターも何種類かあったようです。

当館には生憎、現存せず。

web上で探しましたが、見つかりませんでした。

俳優さんの後ろの分なんですけれど・・・

着用のトレーナーも販促アイテムです。

飯田高原・湯坪温泉にある温泉宿「ゆつぼ亭」は和と洋の建築様式が溶け合う離れが人気の宿です。

温故知新・・・黒澤明監督『乱』 1985・飯田高原ロケ ぴーさん キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

飯田高原は「乱」の主要なロケ地で、

エキストラ1000名を動員した大合戦シーンなどが撮られた。

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当館は、湯坪合宿所として

「夢」を持つ若者30人「三十騎の会」が滞在。

長期間の撮影の間には、他の宿泊施設にご宿泊のキャストさんも

遊びにくる「タマリバ」になっていました。

 

その中にピーター(池畑慎之介)さんもおいでになられていました(^-^)

ピーター(池畑慎之介)さん公式ブログ

http://ameblo.jp/oziba/entry-11279923196.html

今回、黒澤 明監督作品「乱」のロケ地巡りでお越しでした(^-^)

私共にも、撮影当時の過去を振り返る、とてもいい機会を与えてくださいました。

ありがとうございます♪

 

余談

黒澤監督が"三十騎の会"と名付けた彼ら
1980年『影武者』のオーディション合格者たちは、
その後も『乱』『夢』『まあだだよ』の製作に製作に欠かせない存在。

「乱」では、役者として演じるだけでなくエキストラを指導。

助監督の様な役もこなし活躍した。

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当時からスターであった、ピタ―さんが遊びに来ると三十騎の猛者達が

ぴーさん キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

になっていました(^u^)

 

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飯田高原・湯坪温泉にある温泉宿「ゆつぼ亭」は和と洋の建築様式が溶け合う離れが人気の宿です。

温故知新・・・黒澤明監督『乱』 1985・飯田高原ロケ

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『乱』 1985ヘラルド・エース/グリニッチ・フィルム・プロ
監督 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 黒澤明
脚本 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 黒澤明、小國英雄、井手雅人
演出補佐 ‥‥‥‥‥‥ 本多猪四郎
撮影 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 斎藤孝雄、上田正治
撮影協力 ‥‥‥‥‥‥ 中井朝一
美術 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 村木与四郎、村木忍
音楽 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 武満徹
録音 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 矢野口文雄、吉田庄太郎
照明 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 佐野武治
衣裳デザイナー ‥‥‥ ワダ・エミ
狂言指導 ‥‥‥‥‥‥ 野村万作
殺陣 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 久世竜 久世浩
助監督 ‥‥‥‥‥‥‥ 岡田文亮

配役
一文字秀虎 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 仲代達矢
一文字太郎孝虎 ‥‥‥‥‥‥‥ 寺尾聰
一文字次郎正虎 ‥‥‥‥‥‥‥ 根津甚八
一文字三郎直虎 ‥‥‥‥‥‥‥ 隆大介
楓の方(太郎孝虎正室) ‥‥‥ 原田美枝子
末の方(次郎正虎正室) ‥‥‥ 宮崎美子
鶴丸(末の方弟) ‥‥‥‥‥‥ 野村武司
鉄修理(次郎正虎側近) ‥‥‥ 井川比佐志
狂阿彌(秀虎臣) ‥‥‥‥‥‥ ピーター
平出丹後(秀虎重臣) ‥‥‥‥ 油井昌由樹
長山主水 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 伊藤敏八
白根左門(次郎正虎側近) ‥‥ 児玉謙次
生駒勘解由(秀虎重臣) ‥‥‥ 加藤和夫
小倉主馬助(太郎孝虎側近) ‥ 松井範雄
畠山小彌太 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 加藤武
藤巻信弘(隣国領主) ‥‥‥‥ 田崎潤
綾部政治(隣国領主) ‥‥‥‥ 植木等
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三十騎の会
1985年6月1日封切

1985年(75歳)、黒澤渾身の『乱』が完成!

脚本に10年、制作費26億円、武士のエキストラはのべ12万人

使った馬はのべ1万5千頭!

「あなたの 最高傑作は」という質問には、

常に「それは次回作だ」と答えていた黒澤が、

「『乱』こそぼくのライフワークだ」と語った。

本作品は天の視点から人間の業を 描いた壮大な叙事詩となった。

同年、フランス政府は黒澤に芸術分野で最高位となるコマンドゥール勲章を授与

(レジオン・ドヌール・オフィシェ勲章は前年に 授与済)。

その2ヶ月後、日本政府から文化勲章が贈られた。

『乱』は翌年のアカデミー賞で監督賞にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞した。

 

飯田高原は「乱」の主要なロケ地で、

エキストラ1000名を動員した大合戦シーンなどが撮られた。

飯田高原・湯坪温泉にある温泉宿「ゆつぼ亭」は和と洋の建築様式が溶け合う離れが人気の宿です。