温故知新・・・黒澤明監督『乱』 1985・飯田高原ロケ

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1985ヘラルド・エース/グリニッチ・フィルム・プロ
監督 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 黒澤明

海外ではもっとも評価されている黒澤映画のひとつです。
撮影中、富士の御殿場には世界のジャーナリストが連日押し寄せて黒澤監督はインタビューを受けていました。
世界の見たいという願望と75歳の巨匠監督が撮りたいという願望が一致した事例は「乱」が史上初めてだという話もあります。
黒澤の全盛期は1950年代と1985年の二回あると言う海外の評論家もいたくらいの盛り上がり。
当時在仏していた評論家の話によると「乱」が公開されたときはフランス人みんながみんな絶賛していてまいったと言ってました。

シラク元仏大統領もスピルバーグ監督もイランのキアロスタミ監督も「乱」を挙げて追悼のコメントを出してました。

英国BBCが映画生誕100年を記念して選んだト-キー以後の世界の100本に「乱」は「椿三十郎」とともに選ばれています。

製作時のエピソード

・俳優は衣装やカツラを付けてのリハーサルをクランクイン4ヶ月前から行う。
・仲代達矢は秀虎が馬上から矢を放つたった5秒のシーンのためだけに1年間仕事をキャンセルして練習をした。
・太郎が外を眺める6秒のワンカットのために9ヶ月かける。
・三郎と丹後が藤巻の一行から逃げるシーンは屋根道で馬を走らせ崖っぷちで止まらすのだが
7騎の統制が上手くいかず止まった瞬間にあやうく落馬する者もいて中々本番の声がかからない。
ロングで狙っていた黒澤はトランシーバに向かって「全速力で走れ!」助監督の返事は「これが限界です!」
これに黒澤は「怖がっていたら今夜は焼酎飲ませないぞ!!」
・次郎軍と三郎軍の合戦シーンの撮影は午後1時から午後4時までかかったが、この間75才の黒澤は炎天下にも関らず一度も櫓から降りることは無かった。
・標高1250メートル御殿場市字大太郎坊に三の城が建設されるが
火山灰でかなり傾斜した場所に城を築いたために相当の難作業で
大型ブルドーザー3台、パワーショベル3台、レッカー車5台による整地から始まった。
台風に備えて3メートルほど掘り下げコンクリートを流し込むなどの基礎作りで本格的な工事を行う。
三の城天守閣は幅16メートル奥行き15メートル高さ18メートルで6階建てのビルに相当し、
民家150軒分に当たる300トンの木材を使用。カメラには写らない裏側もベニヤ板を使わず作りこんだ。
他にも大手門と搦手門を持ち馬舎や納屋もあり総工費4億円、のべ400人がかりで127日かけて完成された。

・衣装作りのために黒澤とワダは「上杉謙信伝来衣装」や「毛利家伝来衣装」などの文献を百冊ほど集め研究をし、3年がかりで約1200着作成した。

・壮絶な三の城攻防シーンは海外の映画監督に多大な影響を与え

イーモウは「英雄」

スピルバーグは「プライベートライアン」

スコセッシは「ギャング・オブ・ニューヨーク」

ジャクソンは「ロード・オブ・ザ・リング」でオマージュを捧げている。


・狂った秀虎が嵐の中を彷徨う場面は台風が九州に上陸するまで何ヶ月も待って撮影された。

・狂阿彌の衣装は五郎丸という高級な麻を使用し色々な色に染め上げ黒澤のイメージを具体化していった

「乱」のポスターではこの時代を「生きる・戦う・死ぬ」の3つのキーワードで表現

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余談

撮影当時、映画の販促品として使用していた

ステッカーは5種類ぐらいあったと思います。

当館が所蔵している物が3種類、昨日の「乱」と本日の最初の画像です。

こちらは黒澤明の「明」を「日」「月」でデザイン化したものです。

一文字秀虎の旗印として兜の前立てにもなっていますね。

あと2種類は誰か所有されているでしょうか?

ポスターも何種類かあったようです。

当館には生憎、現存せず。

web上で探しましたが、見つかりませんでした。

俳優さんの後ろの分なんですけれど・・・

着用のトレーナーも販促アイテムです。

飯田高原・湯坪温泉にある温泉宿「ゆつぼ亭」は和と洋の建築様式が溶け合う離れが人気の宿です。

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