「付近の親しい方を招いてのお稽古お茶会だから」との事でに無謀にも行って参りました。
お軸は「我心似秋月」(わがこころはしゅうげつににたり)
物の比倫に堪ゆるは無し、我をして如何が説かしめん。)とある。皎潔(こうけつ);白く清らかで汚れのないさま。比倫(ひりん);ならぶもの。たぐい。比類。私の心は秋の名月に似て、青々とした深い水のように透明で汚れがない。これにならぶことのできるものは他に無い。私はこれをどのように説明すればいいのか分からない。
今回のモデルさんは筋湯温泉の『清風荘』の若女将さんです♪とっても素敵な方ですよ♥
今回の主人、『お宿泉水』の女将さん・・・尊敬しています!
「お茶は難しくないのよ、日常生活に活かされているものだから,道元和尚ではないけれども」との事・・・
道元禅師は『威儀即仏法、作法是宗旨』
(いいぎそくぶっぽう、さほうこれしゅうし)
作法が普通にできるようになると自己の身の扱い方に迷いがなくなるのです。即ち「禅の修行」とは挨拶や、口の利き方、箸の上げ下ろしまで徹底してする。これは我執の心の角をとる為にです。これ通して、そこをつきぬけると本当に力のこもったアクの抜けた心を持つことができる。禅生活とは作務(仕事)や食事や洗面など、日常生活ではなかなか認識できなかった些事を、その些事を大事と悟らせることです。
・・・お耳が痛い。
お茶室はそこかしこ「秋」を漂わせた空間でした。
お亭主の心配りをちゃんと汲みとれたかしら?
さぁ、私も人生の終わり頃には「ご趣味は?」と聞かれたら「お茶を少々・・・」と答えられるようになるのでしょうか。
それにしても「足のしびれ」が・・・情けない